2021年も最終日となりました。
実感としては、この一年はとてもはやかった。
穏やかな一年にするために、荷物を降ろしたはずなのに、結果としてはより様々な意味での余裕を失った一年、特に後半でした。それを証明したのは毎年30日前後に生じる体調不良。今年もご多分に漏れずといった感じでした。
とはいうものの1日くらいは余裕を取り戻そうと、朝から大みそかと正月用の食材を買いに行き少しだけ気分転換。自宅に戻ってきて一息ついてから、これを書いています。個人的には激動の一年であったし、来年どうすべきかの整理もしたいという思いがあり、内容としては純分ではありませんが、それでも振り返り日記を書いてみたいと思います。
■第一四半期
1月ですが、正月は精神状況としてはどん底の時期でした。
2020年12月28日に愛息子である愛猫が二歳弱という短命で急逝し、喪失感でボロボロでした。当日まで元気に駆け回っていた子が突然大量の胆汁を吐き、急速に力をなくしていって、わずか2日で逝ってしまいました。最後は救急施設にて小さい全身に管を入れられ、何度も蘇生のための心臓マッサージを受ける姿をただただ見守るしかなく、結果少しだけ蘇生した彼と会話をすることができたものの、「もうわが子を楽にさせてあげたい」とその後の処置をやめることを救急チームの先生方にお伝えするのは本当に辛いことでした。ただ、人生としてはおそらく良い体験だったと振り返ることが(今は)できるのですが、冷たくなった息子をお骨にするというプロセスにて徐々に心を取り戻していくことや、新たな価値観を得るということがありました。結果、これまでの自身の人生や価値観、体験や経験、今後の未来を、よくよくと考えることを行い、結論として「余命宣告を受けている者含む家族と向き合うべき。今はそこに時間を使うべき。」という人生的判断を行うに至りました。
こうして2月末に長年勤めた日立グループを退職することになります。ごくごく一部に相談した方には「なにも会社まで辞める必要はないのではないか」とも言われたのですが、どんなに考えてみてもなによりも精神的な余裕と物理的な時間が必要と思われたし、人生をもって目の前のことに向き合うという覚悟を決めるためには一度すべてをやめて零にすることが必要であると思われました。これらについての一連は今でも当時の日記を読み返すと激しく感情が揺れますし、実際一周忌が近づいてきた10月ころからは本当に心が痛かった毎日だったので、やはり相当な葛藤があったと振り返らざるを得ません。ちなみになぜ2月末だったかというと、前職における、そして日立グループとしては最後の弟子の晴れ姿を見届けたかったという思いがあったからです。弟子には「外の世界を見ろ」ということでなんとか会社の予算をとり某品質系の研究会活動に送り出したのですが、その成果発表会が2月でした。結果、素晴らしい発表を行い、目頭が熱くなりました。よく成長してくれました。
3月以降は、地元である長崎、そして弟がいる福岡に何回も足を運び、両親と弟の看護に関する状況のキャッチアップに励みました。そして分かったことは考えていた以上に状況は悪かったということです。やはり選択は正しかったと思いました。そういったわけで、この長崎と福岡での拠点づくりの検討に入ることになります。長崎は実家でもいいかとも思いましたがやはり20年近く離れているともうそこは自分の自宅ではないしおそらくお互いに多少はストレスが生じるだろうと。当然福岡もそうなのですが、その検討を進めていくと「二拠点を収入なしに状況で維持するのは困難という結論が生じるのは自然でしょう。
そのような事情からも、個人事業主としての仕事を始めるに至ります。
■第二四半期
ただ、看護というどうやってもネガティブすぎる状況にあるからこそ、この個人事業主は自身のバランスをとるためにポジティブな態度で取り組もうと考えました。開業手続きやそのための情報収集といったものは自身の勉強もかねて楽しみながら取り組みましたし、ありがたいことにこれまで仲良くしていただいている方々からいくつかのお仕事をいただきまして、どれも「前職までの看板がない形での」お仕事として刺激的かつ楽しく仕事をさせていただきました。これがなければただただ疲弊する精神状況であったと振り返りことができます。しかしながら、家族の看護が最優先なのでスポットや超短期的なものがほとんどで、中長期的かつ定常的なものなどご依頼のいくつかについてはお断りせざるを得なかったのは申し訳なかったです。このときは、スポットコンサルや企業内講演、新人教育の外部講師等、バラエティに富んだお仕事でした。
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そしてこの時期、ようやく猫を愛でるということができるようになったので、新しい家族をお迎えすることになりました。今度は愛娘ということになりますが、毎日かわいくてしょうがないですし、日々癒しをもらっています。
■第三四半期
そうこうしているうちに少しずつ生活にも慣れ心の余裕が出てきた夏頃でした。
ずいぶん前から熱心にお誘いただいていたお仕事について「私の置かれている状況を踏まえられるのであれば」という条件を飲んでいただいたうえでさらに熱心に口説いていただいたお仕事をお受けすることになります。一度フルタイムを辞したはずなのに、第三四半期からはフルタイムのお仕事をする状況となりました。当然家族の看護も取り組み、なおかつこのころにNaITEのイベント開催再開にめどがつきそれも動きをとることになり、という感じで昨年が比較にならない状況になりました。
この第三四半期については表に書けないあれこれがあまりに多い時期でもありました。
■第四四半期
第四四半期の流れをうけてとにかくあまり寝ずにがんばったということでしかないかなと思います。この時期の平均睡眠時間を出してみたら、平均4時間前後ということで、そりゃ頭痛も生じるし、あちこち痛くもなるし、という自業自得の状況。結果として12月に弟が峠を迎えたときにつめていた病院でそこの医師に「弟さんも大変だけどあなたは明らかに過労の域を超えている」と強制的に点滴を受けさせられるということもありました。なぜいま自分が入院しているのか意味不明でした。この点、完全にミイラ取りがミイラになってしまい、反省しています。
ただ、この第四四半期は「実践ソフトウエアエンジニアリング」という本が無事出版されたことと、(あまり戦力にならず申し訳なさしかないのですが)関連してET2021で登壇できたのがよかったです。
それと、長年やってきたNaITEという長崎のコミュニティについて、長崎県のDX推進のトップから「このコミュニティは大切と思う。県内企業との連携などするべきだ。押していきたい。そのために改めて活動を紹介してほしい。」と急に何が起きたのだ?と困惑する熱量の展開をいただきそのためのあれこれが生じました。来年早々の宿題も与えられていて、おかげで正月休みは消えようかという感じです。それから2月と4月の長崎のイベントの準備も佳境に差し掛かってきて、その負荷の高まりもありその対処もかなりきつかったです。ただ、どちらもとても面白くなりそう。
またそれとは別にも様々な動きやお声がけが生じ、なぜこの時期に全部重なるのかと、ありがたくはあるしすごくテンションも上がるのだけれど、盛大に空回りしているのが12月の状況でまさに師走という感じで、入社数年のころの「ひとつきほぼ寝ずに走り続ける」という2021年最後となりました。27日に久々に10時間ほど寝たらびっくりするくらいに28日の調子が良かったので、人間寝る時間だけは確保しないとダメだなぁと体感しました。
そして29日の夜、声をかけていただき7年か8年ぶりに古い友人と飲んだのですが、いろいろと話せて時を取り戻せたのが心からうれしかったです。また、二次会以降も新型コロナウイルスに係る騒動にて会えなかった方々と再会できたのが本当に嬉しかったし楽しかったです。(少々飲みすぎました。それは反省。)
■一年を通して
とにかくまともな精神状況でないし、終始バタバタしていたし、後半は体調があまり良いとは言えなかったし、とネガティブ面8割といったところでした。ただし残り2割のポジティブ面についてはスーパーポジティブでありそれはそれでよかったです。
2022年はやるべきことがたくさんできましたし、またいろいろと人生を変えていくようなイベントも起きるような気もしていますが(当然のことながら、今年は運よく余命を乗り切りましたが、来年はもう駄目だろうと思います。これについては本当に気が休まらない。昨日もヤバいと連絡がきており、最悪元日に飛ぶかも、みたいな感じです。)、毎日をぼーっと生きているよりはよいだろうと前向きに考えていきたいと思います。ただ、そのためには集中と選択を含む、様々な見直しというのが必要ですね。元日には一年の計を作りますが、そこできちんと計画化したいと思います。
一方で当然といえば当然ながら、今年はとにかくたくさんの方々に迷惑をかけ続ける一年でした。そんな状況においてもお付き合いいただいた方々には感謝の念しかなく、今後の人生でどうご恩返しをしていくか、こちらも真摯に考えて行動していくようにしていきたいと考えています。
また、再勉強が必要ですね。人生観がかわってしまったことで、自身に自己矛盾が生じていることには気が付いているので、子供のころに読んで基礎概念となっている論語あたりから勉強しなおして、次の自身を作ることも諦めないようにと思います。
本当にこの1年はあっという間で苦しかった。そう強く思いますが、今後の人生の糧としては十分すぎるほどの1年でもあったかなと総括して振り返りを納めようと思います。
■すべての方々に感謝を
あらためて今年お世話になりましたすべての方々に感謝を。
来年はさらに感謝する一年としたいと思います。
■とはいうものの
年内に済ませるべきたくさんのタスクが残っているので、それはこの年末年始休暇中にできるだけ(遅くなってしまい申し訳ないけれど)対応ができればと思います。
元日から回遊魚のように動いていければと思っています。